第6話:学問はきびしい!!!
〜旧石器ねつ造事件に関して〜


  もう1ヶ月程前になるでしょうか。東北旧石器文化研究所の前副理事長が、旧石器をねつ造していたことを発表し、大問題になりました。マスコミは一斉にこの問題を取り上げ、論評しました。このページを読んで下さっている方の中にも考古学ファンや、将来考古学をやってみたいと思っている人もおられると思います。それなのに、こんな事件が起きてしまって興味が薄れたという人も中にはいるかもしれません。

 ちょっと待って下さい。もう少し冷静なって考えてみて下さい。今日は、私なりの感想になってしまいますが、この問題を考えてみたいと思います。どうか、焦らずにつきあって下さい。

 さて、私も一応歴史を学ぶ人間の1人です。まず、新聞で上に記した事件を読んだ時、まず感じたのは、「あ〜あやっちゃったか〜!!」という感想でした。何しろ、次々に新しい成果が出てくるのですから、「すごい!」とは思っていましたが、「ホントはそうじゃなかったのか〜」と突然舞台裏を見せられた感じがしました。

 あ〜あこれで、考古学たたきがはじまるんな、と思ったらもう翌日ワイドショーで取り上げられ、「そもそも考古学は学問なのか」などと語る人までいました。恐れていたことが始まりました。しかも、高校日本史教科書にもこの前副理事長の成果が記述されており、瞬く間に大問題になってしまいました。

 そこで、私も高校日本史教科書を調べてみました。一応引用してみましょう。


 「…‥宮城県上高森遺跡では旧石器時代前期にあたる約60万年前の地層のなかから石器が発見されている」(実教出版『高校日本史B』7P)

 「また、近年、岩宿遺跡よりもさらに古く、10万年以上前の宮城県馬場壇遺跡や約4万年前の宮城県座散乱木遺跡などが発見された。さらに近年発見された宮城県高森遺跡の石器を50万年前とする説もある。」(実教出版『日本史B』新訂版7P脚注B)

 「現在までに知られるもっともさかのぼる時期の旧石器時代の遺跡は、宮城県高森遺跡で、ほぼ50万年前とされ、原人段階のものである。」(山川出版『詳説日本史』10P脚注@)


とまあ、こんな調子です。

 参考書でも「日本史学習の決定版!」という帯がついた山川出版の『詳説日本史研究』では、「…1976(昭和51)年、宮城県座乱木遺跡の4万年前より古い層から確実に石器と認められるものが出土した。同じ宮城県馬場壇A遺跡が約20万年前、最近調査された宮城県の高森・上高森遺跡はさらに古く、60万年前という年代が与えられている。上高森遺跡からは、直径20pの円形の穴からハンドアックス(握槌、握斧)など形の整った大型の石器数点が埋められた状態で出土した。」(6P)とあります。

 今回の問題で、これらの記述がどのように訂正されなければならないかはわかりません。問題は、こうした記述の誤りを訂正すること、もちろん、発掘が本当に信頼できるかどうかの再確認をすることです。


 さて、私の感想を述べることにしましょう。まず、歴史の偽造・ねつ造は許されることではないこと。それは、歴史をどのようにとらえるか(歴史の見方)の違いに関わらず、まず最低限まもるルールです。ですから、問題をおこした前副理事長の行為は許されるものではありません。

 しかし、だからといって一部のマスコミの人たちが語るように、「そもそも考古学なんて信じられるの?」という懐疑的な意見にも同調しません。一部の人のあやまちを利用して学問全部を否定することも絶対なされてはいけないことだと思います。日本の考古学は、学問として完成されたものになるために、自然科学の研究方法を様々な形で導入してきました。

 例えば、放射線14C測定法やフィッショントラック法、木材年輪幅測定法などがそれです。自然科学の手法を導入したからといってそれですぐ、絶対年代がバチっとわかるなんてことも不可能です。そもそも、自然科学なら良くて、人文・社会科学ならダメというのもおかしいでしょう。自然科学でも解けない謎はたくさんあります。今度ノーベル賞をもらった白川英樹さんだって、プラスチックは電気を通さないという常識をくつがえしたことが受賞の最大の理由だったわけでしょう。それに、テレビでやるスプーン曲げなんて全くの嘘なのに、それにだまされて、奇跡だと思うでしょ。それをやって見せて下さる大学の先生もいらっしゃるんですから。この辺については、大槻義彦『超能力・霊能力解明マニュアル』(筑摩書房)・同じく『超能力ははたしてあるか』(講談社ブルーバックス)などを読んでみて下さい。

 ですから、一部の人の失敗ですべてを否定しさることはどうしてもまずいと思います。さらに、この問題の背後にいたマスコミの人たちは、全く反省しなくていいのだろうか?と私には思えてなりません。
 考古学がブームになっていること、それ自体は決して悪いことではないと思いますが、ブームをあおったり、もっと古い時代のすごいものを、という無言の圧力をかけてはいなかったか、その点を学芸部の記者や科学部の記者の方たちが考えていただきたいと思います。読売新聞は、「相次ぐ大発見≠フ発表に十分な検討を加えず大々的な報道を繰り返してきたマスコミにも、反省すべき点は多い」(11/6付)と述べています。


 皆さんの期待通りによりすごい遺物や、より古い遺物がそんなに簡単に出土することなんてないのです。そんなに都合良く歴史の女神は私たちに微笑んでくれません。とても気むずかし屋さんなんです。思ったようにホイホイと出てきたらドラエもんの4次元ポケットじゃありませんか。それでも時々失敗してるでしょ。

 とすれば、今回のことですべてを否定してしまうのでなく、もう少し冷静になって、発掘ということを考えてみて下さい。日本の発掘の大半は、財政的なゆとりも、時間もなくどこかで道路をつくるとか建物を建てるとかいった時に偶然出土したものをなんとか必死に発掘する緊急調査とよばれる発掘が大半で、時間とお金をかけて行う学術調査ではないのです。ホントに実に貧困な文化行政なのです。そうした中で考古学をやっている人たちは悪戦苦闘して発掘しているのに、何も出土しないければ、まるで税金泥棒のように言われかねない。悪循環なのです。しかも学術的に大変なものが出土しているにも関わらず、押し切られることもしばしばです。

 日本史で出てくる729年の長屋王の変の長屋王邸宅跡からは、木簡が多数出土しました。そして長屋王は長屋親王と呼ばれていたことが確認されたのですが、邸宅跡は現在「奈良そごう」になっています。その「そごう」が経営が悪化したのは長屋王の怨霊ではないか?!という冗談まで飛び出る程なのです。

 さらに、日本では史料(紙などに記されたもの)をきちんと公開しなかったり、ひどい場合には燃やしてしまっています。戦争期の史料などはその最たるもので、占領軍が進駐する前にやばそうな史料はすべて焼くなんてことがされたし、アメリカでは25年たったら公開される史料が公開されず、国民には隠されたママになっていることはしょっちゅうです。情報公開なんていってますが、米軍の核兵器持ち込みなんて国民は知らなかったわけです。例の「拉致された日本人を第三国で発見したことにすれば良い」なんて言っておきながら、「そんなこと言ったことはない」って言い張ってるんでしょ。アメリカじゃ大統領が事実関係を隠蔽したら首が飛んだんですよ(ウォーターゲート事件)。不倫した大統領は事実関係を認めて国民に謝りましたよネ。

 何もアメリカがいいなんて言ってる訳じゃなくて、こうした問題は史料の公開や、考古学の調査の問題、マスコミの姿勢などを総合的に考えないといけないというのが、私の感想です。ああなりゃこうなる式の単純なものではありません。
一度じっくり考えてみて下さい。