第24話 ベトナム障害児教育・福祉施設見学
〜4度目のベトナム〜



 

 この8月17日から25日までの日程で日越友好障害児教育・福祉セミナーの一員としてベトナムに行ってきました。私としては4度目の渡越です。
 まだ、戦争史のテーマを続けないといけませんが、今回はまた私の都合でお休みをさせていただいてベトナムの施設のことを報告します。もし、戦争史を期待していた方がいらっしゃったらごめんなさい。私としてはどちらのテーマも大事で、大切にしたい事柄ですのでどうかご了解ください。

 さて、今回のセミナーは、58人という大人数で、これまでセミナーを開催していたホーチミン市を離れ、首都ハノイで開かれました。スタディツアーらしく学生の参加が多かったことが何より嬉しい旅行でした。

 ベトナム入りした翌日の18日、私はごく限られた人たちと共にホーチミン市内にある「温かい家」という施設を見学させていただきました。まず、この施設について報告します。

 この「温かい家」という施設は性的虐待を受けた子どもを受け入れる施設です。18日は丁度日曜日でしたが、子どもたちが集まってくれ、話をしてくれました。あまりうまくまとめられませんが、可能な限り整理してみます。

 この施設は労働省の配下にあり児童福祉基金(NGO)の施設です。1992年にスウェーデンの援助で最初の建物が作られ、その後広島YMCAが援助して作った建物が98年にできたそうです。現在92年にできた建物は使用していないようでした。さらに、98年スイスのテレゾンというNGOも資金援助をしたようです。

 先に記したように、この施設に保護されるのは主に性的虐待を受けた女の子たちです。5人の教員と9歳から19歳までの23人の子どもたちが暮らしています。施設がある地域はホーチミン市内でも性的虐待や買売春など社会問題が多く発生し、特に解決すべき課題を抱えている地域だそうです。子どもたちは、婦人会・公安(警察)・ボランティアの人たちなどにつれられて施設に保護されるそうです。



 ◎所長のグェン・キン・ティン先生(女性)は、次のように話してくださいました。以下、それをまとめます。

 性的虐待を見つけることは難しいことだ。特に義理の父や実父からの性的虐待が一番多く、低年齢化している。場合によっては親が留守の間に近所の人から虐待を受けることもある。

 ベトナムでは2度性的虐待をしたことがわかれば逮捕され、地域の人民委員会(市役所などにあたります)や公安(警察)や婦人会がこの問題に介入し解決することになっている。

 子どもたちの母には保護している子どもへの接し方について指導している。入所後、子どもたちは身体検査をし、病気やケガがないか調べる。子どもたちが施設にいられる期間は一応2年間だが、年齢が小さい子どもはもっと長くいる。この施設では職業訓練(裁縫など)を行い、自立するため、企業に雇用するよう要請している。

 子どもたちの指導、特に虐待を受けた子どもたちの精神安定をするために職員はホーチミン市のオープン大学で社会学を学んだ。しかし、心理学は専門ではないからカウンセラーに入ってもらうこともある。

 1人の教員で5人の子どもたちを担当し、毎日日記をつけて先生との交流を深めている。教員のローテーションは月曜日から金曜日の昼は5人で、夜は2人が担当し、土・日は1人で子どもたちをみる。土・日に家に帰れない子どもたちには歌など歌ったりして遊ぶ。家に帰る子どもは無条件で帰ることができるが1晩泊まることはない。

 この施設を出て結婚し母になった人もいる。結婚式場はこの施設を利用した。施設運営上の困難さや課題は特にないが、施設に入りたいと思っている子どもたちをより支援したい、

と所長は控えめに語りました。



 インタビューの順序は逆ですが、施設の子どもたちからも話を聞くことができましたので、次にそれを記します。

○まず、「何の勉強が好き?」という質問には、
(1) 英語などの外国語、(2) 裁縫や刺繍、(3) 人を描くこと、という答えが返ってきました。


○第2に、「この施設を出た後何になりたい?」という質問には参加してくれた子どもたちが全員答えてくれました。
 全員の答えを列挙しましょう。
 
1.  幸せに家族と暮らしたい。料理の勉強がしたい。(16歳)
2.  ソーシャルワーカーになりたい。(19歳、彼女は児童福祉基金のボランティアをしていました)
3.  画家になりたい。(15歳)
4.  (西洋風の)ダンサーになりたい。(16歳)
5.  画家になりたい。幸せな家族が欲しい。(13歳)
6.  縫製のいい仕事を見つけて有名になりたい。(17歳)
7.  世界的に有名な歌手になりたい。(14歳)
8.  歌手になりたい。楽しく幸せになりたい。(15歳)
9.  服飾デザイナーになりたい。(18歳)
10.  仕事をしてお金を貯めて貧しい人を助けたい。(17歳)
11.  歌手になりたい。幸せな家族と共に暮らしたい。(16歳)
12.  まだわからない。でも美容師になりたい。(16歳)
13.  美容師になりたい。(16歳)
14.  縫製の仕事がしたい。(16歳)
15.  縫製の仕事がしたい。(16歳)
16.  歌手になりたい。(14歳)

本当はあと1人の子どもがいます。でも彼女は精神的なショックから声が出なくなって年齢を確か7歳と答えてくれただけでした。それでも、ようやくここまで立ち直ってきたのだと所長はおっしゃっていました。

 このインタビューからもわかるように、子どもたちは自分が経験した困難な状況から何とか乗り越え、前向きに生きようとしていることがわかります。おそらくショックで構音障害になり声が出なくなった子どもも、少しずつ回復していくのでしょう。


○第3に、「宝物は何?」という質問の答え。
(1) お母さん、(2) 恋人、(3) 友達、(4) 他人からの愛情(これは多分テレビドラマの影響らしいです)、(5) 親友、(6) 先生という答えが返ってきました。


○第4に、「今したいことは?」という質問には、
(1) 仕事につきたい、(2) ピアノの勉強がしたい、(3) 勉強がしたい、(4) 学校に行きたい、という答えが返ってきました。


以上の質問と答えに私は彼女たちの健気さ、いじらしさと前向きの姿勢に関心しました。でも、お母さんは当然としても、家族と答えるまでには長い時間が必要だったのだろうな、と思わずにはいられませんでした。


 私は所長にベトナムの児童買売春のことを尋ねました。やはり、この国でも他の国と同様に児童買売春があることをいくつかの本を読んで知っていたからです。私が持っている『アジアの蝕まれる子ども』(明石書店、152頁)には1991年のデーターがあり、ベトナムの15歳以下の売春者は、4万人と推計されています。そこで、こういう質問をしたのです。

 所長は、売春している子どもは、お金が欲しいからこの施設にはあまりこない。公安が捕まえるが、また同じ生活に戻ってしまう。と語りました。さらに、売春婦として売買された子どもたちの話をしてくださいました。

 ベトナムからカンボジアに売られた子ども15人を施設に受け入れる計画がある。人身売買の組織があり、子ども1人は70ドルで売られる。その内40ドルを家族が受け取り、残りの30ドルを組織が受け取ると、その仕組みまで教えてくださいました。

 やはりたくさんの人たちが指摘しているように、児童買売春にかかわる人身売買組織が存在し、国を越えて活動している実態に正直驚きました。 女の子ばかりの施設でしたから、所長さんがどうぞと勧めてくださった施設内の見学は我々オッサン連中は遠慮し、同行した女学生・女性の院生に行ってもらいました。整理されててきれいだったとのことです。

 日本にもそしてベトナムにも性的虐待があります。しかもその行為をする人が父親(義理であれ、実の親であれ)だということに本当に情けなさを感じました。それに比べ子どもたちの明るい笑顔がとても印象的でした。

 翌日19日には、セミナー参加のメンバーが分かれて、ホーチミン市内にある4つの施設・学校に見学に行きました。私はチゲ障害孤児センターに行きました。この施設の報告を次にします。

 この施設はカトリック系の施設で、とても清潔でたくさんの職員の方々が子どもたちの世話をされていました。


◎所長さん(女性)からうかがった話を整理して記します。

 ここには530人の子どもが入所している。その内353人は障害を持つ孤児で、残りは家族がいる障害児である。ほとんどが知的障害児で自閉症の子どももいる。

 スタッフは175人おりリハビリを担当する職員が12人おり、彼らは免許を持っているが教員は免許を持っていない。

 チゲの施設とは別にバウロック省に16歳以上の子どもを入所させる施設がある。175人のスタッフの内20人がその施設に勤めている。1人の教師に対し子どもは20人以下で、9人で当番制で宿泊している。

 子どもたちはチゲでリハビリ後、バウロック省の施設で自立のための労働をしている。そこにはコーヒーとお茶の農園があり、豚やその他の動物を飼っている。

 チゲの施設に入る条件は孤児であることだが、家から通う障害児もいる。なお、障害を持つ孤児とは、障害を持つが故に出生直後父母が病院で放棄した子どもをさす。

 チゲの施設は、リハビリ中心の施設だが、もしお金があれば1クラス10人程度にしてリハビリの強化をしたい。運営費はベトナム政府から30%の援助をもらい、残りの70%は外国からの援助である。

 寝たきりの子どもは大きくなると大人のためのセンターに移るが、場合によってはずっとこのままここにいるかも知れない。ここから教育を受けた知的障害児はコンピュータを学び、大学を卒業した者もいる。

 センターの日課は、7時45分から体操し、ミルクを飲む。8時から10時半までは学習し、10時半からは昼食をとる。時間が早いのは、障害があるため、時間がかかるからで、午後1時半から2時までは昼寝をし、2時から4時までは学習し、4時からは自由時間となっている。

 一通りの説明を受けた後、施設内を見学させていただきました。

 先に記した通り、ここはカトリック系の施設で非常に清潔で行き届いた介護がなされていました。シャワーを浴びてさっぱりした子どもたちは、皆石鹸のいい臭いがしていましたし、遊具などもたくさんありました。

 中でもフランスからだと思われるのですが、高校生がボランティアで子どもたちの世話をしていました。彼らが自費でベトナムに来たのか、どこかから援助を受け来たのかはわかりませんが、日本の高校生や大学生たちも国を越えてボランティアをしたいと思っている人たちもたくさんいると思います。

 そうした人たちに旅費程度の援助が日本政府からあってもいい、と私は思います。その国の人たちが望んでもいないダムや橋を作りひんしゅくをかい、挙げ句の果てには賠償金を要求されるのなら、もっと人間の持つ力を活用して行く方が良いのではないでしょうか。


 しかし、所長さんの「障害を持つ子どもたちは親から捨てられてしまう」の言葉は私にしてもショックでした。「人権」という言葉を思い起こしながら、施設をあとにしました。

 その後セミナー一行は、ホーチミン市内にある戦争証跡博物館を訪れ、ベトナム戦争時の元兵士2人の方々の講演を聞き、20日、ホーチミンをたち、21日ハノイ師範大学でセミナー全体会に参加しました。22日、一行は4つの分科会に分かれて参加し、私はハノイから約120q先のハイフォンで開催された聴覚障害分科会に参加しました。ここでも5つのベトナムの学校・施設の責任者から自らの学校・施設の紹介をしていただきましたが、割愛します。セミナーは23日午前中、再び全体会を再開し、日本・ベトナム双方の報告が行われました。

 今回、ホーチミンでもハノイでも私は見学したことがない施設・学校に行きました。そこではまさに献身的な努力を皆さん方がされていることに感動しましたし、日本と同様の問題がベトナムでも起きていることも知りました。

 くり返しになりますが、「性的虐待はわかりにくい」、「カンボジアに子どもたちが1人70ドル(日本円で1ドル120円だとすると8400円です)で売られている」、「障害があるとわかると父母は子どもを捨てる」といった説明は、その話し方が冷静であるために一層重くのしかかってきます。

 人1人が8400円!!多くても1万円!同行した私の大学を含む各大学の学生たちはこの事実をどう受けとめたのでしょう。でも、これが現実なのです。そこから目を背けたら何もできません。知った限りは何とか自分ができる範囲でいいからしないと、いう気持ちでセミナーに参加してきたのですが、いよいよ抜き差しならぬ状態になりました。

 これを書きながらもまだ記憶から消し去ることができない、あの声が出なかった女の子ことを思い出しています。私には聞こえませんでしたが通訳の人には「7歳」と答えたことが、大きな進歩です。たとえ本当の年齢じゃなくても彼女はともかく答えたのですから。

 一般に「遅れ」と表現してしまうベトナムの現実はそれですませていいものではありません。日本と同様のこともたくさんあります。性的虐待に限らず児童虐待は次第に増加し、毎日のように新聞報道がなされています。どこから切り込んでいけば解決できるのか、今の私にはわかりませんが、勉強を続けたいと思っています。