シリーズ:パレスチナ問題って何だ?
〜その10:2002年3月から4月の情勢〜

 皆さん、こんにちは。このシリーズも今回で10回目を迎え、本当にたくさんの方々に読んでいただけるようになりました。ありがとうございます。歴史や現在世界で起こっていることに、多くの方に関心を持ってもらえたことは、このコーナーを担当している私にとってはとてもうれしいことです。

 でも、今のパレスチナの状況を考えると喜んでいる訳にはいきません。皆さんもご存知だと思いますが、現在のパレスチナをめぐる情勢はとんでもないことになっています。
 
 
 3月の末から、イスラエルのシャロン首相は、「パレスチナ自治政府議長のアラファトは敵である。」と宣言し、「イスラエルは戦争下にある。」と国民に向かって発表したのです。それと並行して、イスラエル軍は、戦車・軍事ヘリ・戦闘機を使って、パレスチナ自治区に対し大規模な軍事作戦を展開し、ほとんどの主要都市を制圧していきました。

 ヨルダン川西岸地区(シリーズ第7話の地図をご覧下さい)は、イスラエルの再占領下におかれるになったのです。また、アラファト議長が執務をとる建物も完全に包囲されました。イスラエル軍は、アラファト議長たちのいる部屋のすぐ隣にも入り込み、彼を事実上監禁したのです。

 このイスラエルの攻撃に対し、パレスチナ側も立ち上がります。自爆テロによる攻撃です。でも、「テロ」という言葉をこの状況下で使うのは不適切であるかもしれません。パレスチナ人にとってみれば、イスラエルの軍事侵攻と戦い、民族独立を達成するための攻撃なのですから。

 イスラエルとパレスチナの軍事力の差は、大人と赤ちゃんとのほどの差があるのです(たとえがあまり良くありませんが)。イスラエルは軍事大国です。核兵器を持つと言われています(本当に持っているそうです)。その強大な軍事力を使えば、パレスチナ全土を自分のものにするくらい朝飯前でしょう。

 でもパレスチナ人の憎しみを抑えることはできません。まさに泥沼にはまりこんでしまったのです。今回のイスラエルの攻撃で、パレスチナ自治区の都市が破壊され、大量のパレスチナ市民が虐殺されたというニュースが流れました。イスラエルは外国のメディアにも自由な取材を認めていなかったので、本当に虐殺が行われたのか、また一体何人が亡くなったかなどの詳しいことはわかりません。しかし、4月18日のニュースでその街の映像が流れました。建物は破壊されつくし、ガレキの山となっていました。パレスチナ人の女性が「どんなに破壊しても、私たちの心は壊せない。」と泣きながら叫んでいたのが印象的でした。

 この状況のもと、世界各国で市民たちの反イスラエルデモが発生します。また、国際連合も動きだし、安全保障理事会で「イスラエル軍の即時撤退」が決議されました。アラブ諸国はイスラエルの行動に反発の態度を示し、ヨーロッパ諸国・ロシア・中国などもイスラエル軍の撤退を求める声明を出したのです。

 ところが、アメリカのブッシュ大統領は、このイスラエルの軍事行動を「理解できる」と発言し、イスラエルの対パレスチナ軍事侵攻を容認する態度をとったのです。

 これには、さすがに国際社会も失望しました。冷戦崩壊後、ソ連の消滅によってアメリカが唯一の超大国として世界に君臨します。湾岸戦争をはじめ、世界各地の紛争にアメリカが積極的に介入してきたことで、根本的解決には至らずとも、とりあえずの事態の収集にはこぎつけることができたのです。ですから、今回もイスラエルに言うことを聞かせることができるのはアメリカだけだ、との期待があったのです。

 しかし、この後ブッシュ大統領は一転して態度を変えます。「パウエル国務長官を派遣して本格的に事態の収拾に乗り出す」と発表したのです。アメリカはそれまでにも特使を派遣して調停をはかっていたのですが、今回は意味が違います。「国務長官」というのは外務大臣に相当するポストで、アメリカ政府の中では、大統領に次ぐナンバー2の要職なのです。そんな大物が、直接調停にやってくるのですから、国際社会は「大きな期待」を持ったのです。

 しかし、結果だけをいうと、この「大きな期待」は、まったく当てがはずれてしまいました。パウエル国務長官は何の成果も上げることができず帰国したのです。



 2001年の7月に書いたシリーズ第8話で、「2000年9月にシャロン氏がエルサレムにあるイスラム教の聖地を、多数の護衛を引き連れて訪問したことが紛争の発端となり、その事件に何かキナ臭いものを感じたので、私はパレスチナ問題をテーマに選んだ。」と書きました。

 最初の頃は、新聞で少々取り上げられるといった程度で、テレビニュースで報道されることは滅多にありませんでした。しかし、今では新聞では第一面、テレビニュースではトップニュースとして扱われるほど、大問題になってしまいました。悪い意味で私の予感は当たってしまったのかと思うと、何か複雑な気持ちになってしまいます。


 今回はパレスチナ問題が急転回し、緊迫の度合いが高まったので、予定を変えて、3月末から4月18日までの最新状況についてまとめてみました。前回皆さんに約束していた、2001年9月11日の「あの事件」以降の状況は次回にまわさせて下さいね。

 では、また。