第8話:テーマを持つ日本史
〜女性史(1)〜


 
 さて、今回のお題はというと…、折角、新しい世紀に入り、皆さんが一生懸命勉強をされているのに毎回私の思いつくままの文章を読まされるのもなんでしょう。
 しかも、かつての同僚たち(世界史のページを書いている鎌田氏や地理のページを書いている村瀬氏)にも申し訳ないということもあって、これから少しの間、私が勤務先の大学でやっている歴史の授業で取り上げている内容を扱ってみることにします。かつての同僚たちのきちんとしたテーマに比べると見劣りするかもしれませんが…。でもたまには日本史から脱線した内容が掲載されてもご勘弁をお願いします。


 能書きはこれくらいにして−
 私は大学で「人間と歴史」という授業を担当しています。その授業では講義のタイトル通り歴史全般を話すことにしています。そこで扱っていることをすこしばかり形を変えて何回かに分けて記していくことにしたいと思います。

 今回はその第1回です。といっても私がいろんな本を読んで勉強したことを記すことになりますし、もし興味を持ってくださる方がいらっしゃったら、ということも考えて、どこかで参考文献をあげておきますので是非機会があれば読んでみてください。それでははじまりはじまり



 原始・古代の女性史

 まず、そもそも女性史というのは何なのかを少し説明しておきます。世の中には男と女しかいないのに、何故「女性史」という特別のジャンルがあるのか、ということです。

 女性史に対して男性史というジャンルは普通考えられていません。というのは、普通私たちが習っている歴史はまだまだ男性中心の歴史であり、そこからなかなか抜け出せないでいるからです。確かに、近年の教科書では随分女性のことを取り上げるようになりましたが、それでもやはり男性主体の歴史が一般的です。

 そこでどちらかというと歴史の中で無視され続けてきた女性にスポットをあてて、今一度歴史をとらえ直すとどうなるだろう、ということが少しづつ広がりはじめ、現在では歴史学の一つの大きなジャンル・研究対象になりました。ちなみに、大学入試でもセンター試験をはじめ、たくさんの問題が出題されています。


 そこで、原始(旧石器〜縄文[佐原真さんの言い方では縄紋]時代)・古代(一応弥生〜平安時代の終わりくらいまで)の女性について考えてみましょう。

 旧石器時代の女性にしろ男性にしても、どのような生活をしていたのかということはよくわかっていません。少なくともいえることは、男女の性別による差別はなかっただろうということです。それより、女性は次の世代の子どもを生み、育てることから尊ばれていたと考えられています。

 ただ、私たちが一般的に生活の基盤としている家族(単婚核家族といいます)というものが成立していたかどうかはわかりません。続く縄文時代を含めて母方の系譜を重んじる母系制社会と考える人と、そうではなく母方も父方も重視される双系性社会だったという人もいらっしゃるので、このあたりはわかっていません。


 ところで、縄文時代の女性というと、何を思い出しますか?そう土偶です。土偶は「縄文のビーナス」ともよばれる、粘土で焼かれた人形です。大抵は妊娠している女性の姿をしています。さらに細かく分けると顔がハートの形をしているハート形土偶、目がサーチライトのようになっている遮光式土偶、土偶全体がずんぐりしているのでミミズク形土偶とよばれるものの3つに大別されます。

 よく知られているように、土偶は妊婦の姿をしていますから、普通は子どもが生まれることを願って作られたものと考えられています。この時代も男女差別というものはなく、男性と女性の自然な分業がなされていたと考えられています。つまり、狩猟や漁労(漁撈)は男性が、植物採集や土器作りは女性が行っていたと考えられています。


 弥生時代から古代社会に次第に入っていくのですが、今のところ、この弥生時代から水稲耕作が本格的に広がっていったとされています。もちろん、今後の発掘調査しだいでは水稲耕作の本格的開始の時代がもっと早くなる可能性は十分あります。男女の分業は依然として続いていて、田起こし、田鋤きなどは男性が、種まき、草取り、脱穀、さらには海に近いムラでは土器に海の水を入れて煮詰める製塩の仕事などは女性がしていたと考えられています。ほら「藻塩焼く」なんていう文が古語にあったでしょ。あれです。

 弥生時代の女性というと、誰を思い出しますか?そう卑弥呼です。なんたって日本史教科書に一番最初に登場するのが、彼女なんですから。それにあまりに濃いキャラで登場しますものね。マンガの日本史でも彼女は若く美しい女性で、しかも神がかりしてあの邪馬台国(邪馬台国の場所がどこにあったかは今は問題にしません)を治めるのです。

 「(前略)すなわちともに一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼という。鬼道につかえ、よく衆を惑わす。年すでに長大なるも、夫婿なく、男弟あり、たすけて国を治む」(『魏志倭人伝』)と記されています。この文章を読むとどう考えても先に記したうら若い女性とは考えられません。マンガでは、どう見ても神社なんかでよく見る巫女さんのような姿ですが、「年すでに長大」(つまりおばちゃん)で、「夫婿なく」(結婚していなく)、「男弟あり」(弟がいて)、卑弥呼を助けて国を治めているのでしょう。

 ということは、マンガの卑弥呼の描き方はどう考えてもおかしい。どちらかというと、東北恐山にいるイタコという神がかりして先祖の霊なんかを呼び出す霊力を持っている恐ろしげなオババの方がこの文の内容に近いはずでしょう。なお、女性が神がかりするのは時代を超えてあるようです。例えば沖縄のノロもイタコのような仕事をする女性ですし、近代では天理教を作った中山みき、大本教を作った出口なお(ご親族に超有名予備校講師がいらっしゃるそうです)なんて人がいます。


 ともかく、その卑弥呼は「鬼道」(呪術)を使い、神の声を聞き分け、それを頼りに邪馬台国を治めていたのです。しかし、卑弥呼が亡くなってしまい、邪馬台国はまた内乱状態になってしまいます。その内乱を収拾することができたのもまた女性でしたよね。そう、壱与(トヨともいう可能性もあります)です。年は13歳。彼女は卑弥呼の「宗女」(一族の娘)でした。卑弥呼の霊力は壱与に受け継がれたと考えられ、その結果、邪馬台国の内乱を収拾することができたのではないでしょうか。

 しかし、彼女についてはこれしか記されていません。私としては日本史に出てくる数少ない子ども(もっともこの時代ではもう大人の女性として扱われていたはずですが)ですし、彼女のその後のことが気になりますが、ここから先のことはわかっていません。
 
 とうことで今回はこれでおしまいにします。