第15話:障害を持つ人たちの歴史
〜序・原始時代〜


 

 忙しさにかまけて、とうとうこのコーナーの原稿を打つことを1ヶ月サボってしまいました。私は、その間にベトナムとカンボジアに行き、様々なことを学び帰国しました。もともと私のベトナム行きは、日本とベトナムとの障害児教育・福祉の交流が中心です。そこで、というわけではないのですが、今回から数回ですが、障害を持つ人たちの歴史について私が勉強したことを、ここで紹介したいと思います。


 −序−

 まず、私事になりますが、この障害を持つ人たちの歴史に関心を持つきっかけについてお話しておきたいと思います。今はもう2人共亡くなってしまったのですが、私の母と兄はある日突然、障害者になりました。母も兄もそれぞれ心身に障害を持つことなく生まれ、大人になりました。しかし、偶然ともいえる事故で障害を持つことになりました。母の場合は、自宅でボヤを出し、火事そのものは大したことがなく、すぐ消すことができたのですが、一酸化中毒により、一夜にして左半身マヒになってしまい、7年間ベッドとその周辺ですごし、亡くなりました。

 兄は、地下鉄の駅から転落した時、運悪く電車が入って来たため、左足を切断する結果になりました。私はこのことから障害を持たずに成長し、大人の生活をしていても、ある日突然、障害者になってしまうことを嫌という程知らされる結果になりました。

 そして、これも偶然ですが、昨年から上に記した日本とベトナムとの障害児教育・福祉についての交流のセミナーに参加しています。こういうことで、私が勉強している歴史の中で障害を持つ人たちはどのように扱われているのかが気になり始め、少しづつ勉強をはじめたというわけです。


 障害児者については、例えば障害児教育史とか障害者福祉史という教育学や社会福祉学のジャンルの1つとしてこれまである程度の研究がなされてきました。しかし、一般の(そう、皆さんが教科書で習う日本史や世界史というものを想像してください)歴史では全くといっていいほど扱われていません。これは政治・経済・文化などを中心に扱っている歴史研究者の怠慢という他ないと私は思います。

 もちろん、こういう問題にいち早く気づき、これまでの研究を打破しようとしている人もいます。日本中世史研究者として著名な網野善彦さんは、「すべてこれまでの歴史は成人男性を中心とした歴史であった。」と批判されています。少し前まで扱っていた女性史や老人、子ども、障害者、被差別者の歴史はあまり研究されてこなかったということでしょう。そのうち女性史や被差別者の歴史は現在ではかなりの程度研究が進んできました。しかし、ここでテーマとして扱おうとしている障害者の歴史は、女性史などに比べればまだまだといってもいいだろうと思います。

 といって弁解するつもりはないのですが、障害を持つ人たちに対する教育や福祉が本格的に考えられ、実践されるようになったのは近代に入ってからのことでした。ですから、それ以前の時代でこうしたことが無視されてきたわけではないにしても、極めて不十分だったというべきでしょう。こうしたことから歴史を学んでいる人たちが、障害を持つ人たちについて研究することが随分遅れたともいえるでしょう。


1.原始時代の障害者

 さて、そろそろ本題に入りましょう。まず、大雑把に原始時代とは、旧石器時代から縄文時代までと考えてください。この時代の状況についてはただでさえわからないのにこんなテーマが成り立つのかと考えられる方もいらっしゃると思います。確かにそうですね。紙や木(竹なども含め)に記された文献資料というものが皆無なこの時代のことを知るのは本当に難しいことです。これもすでに紹介したように、旧石器時代については、この間の新聞報道などによると、何やらほぼ全面的に修正し、一から考え直す必要が出てきましたものね。

 でも、ある程度の手がかりはあります。まず、出産について考えましょう。
 今でこそ、お産は産婦人科で医者や助産婦さんの立ち会いのもと、赤ちゃんは元気に産まれてきます。それでも、胎児が逆子であったり、お母さんのお腹の中で何らかの原因で栄養がもらえなかったりすると障害を持って産まれてくることはあり得るでしょう。当然のことながら原始時代には助産婦さんも産婦人科のお医者さんもいません。とすれば、それだけお産そのものが、お母さんだけでなく産まれてくる赤ちゃんにとっても危険を伴うものでした。あるいは、産まれた時は障害を持たずに産まれてきても、私に母や兄のように、大きくなってからケガなどをきっかけに障害者になることは当然あり得ることでしょう。ただ、出産時に障害を持つことがわかった赤ん坊は、おそらく間引きという形で殺害されたと考えられます。

 大きくなって障害を持つことになった人たちはおそらく存在した、と考えられますが、では、その人たちがどのように生活していたのかについてはわからないのです。また、障害を持つ人たちに対する差別があっかどうかもわかりません。また、たまたま重病にかかったことがわかる人骨が発掘されることはあっても、その人が生きている間、障害を持ちつつ生活し得たのかどうかもわかりません。

 こうした、八方ふさがりの状態の中で、私に1つのデータを教えてくださったのは、河野勝行さんの本でした。河野さん自身障害を持ちながら、私が扱っているテーマのパイオニアとして研究をされている方なのですが、河野さんの本『障害者問題の窓から』(文理閣)の中に、縄文時代前期の成人女性の人骨(栃木県大谷寺洞穴遺跡)のことが取り上げられています。

 この女性の人骨にははポリオのかかったあとが見られるというのです。ポリオは昨年、アジアからついになくなった病気として認められました。皆さん方も小さい時に、この病気にかからないようにワクチンを飲んでいるはずです。ポリオとは小児マヒのことで、高熱が出た後、神経中枢が侵され、運動マヒをおこす病気で、5歳以下でかかる子どもが多いとされています。

 この女性が一体いくつ位でポリオにかかったのかはわかりませんが、骨の状態からすると、子どもの時にポリオにかかり、その後足を引きずりながら生活をしていただろうと結論づけておられます。

 こういう例は、他にもいくつか見られるようで、河野さんは、「古人骨、とくに古病理学的事例の全面的な利用による、先史障害者史の復原はかなり豊かな実りが期待される分野」だと記しておられますから、今後の研究に期待したいと思います。