第18話 センター日本史を斬る!
〜 2002年1月実施 日本史A・日本史B 〜




 
 
 もうずいぶん日数がたってしまいましたが、センター試験を受験した皆さん、結果は如何だったでしょうか?悪戦苦闘(?!)した割にはできなかったという人もいるでしょうし、頑張った甲斐があったという人もいるでしょう。もう、すっかり定着し、今年はなんと60万人もの受験生が受けたとされるこの試験、様々な改革が考えられている割には相変わらずパッとしないように思えます。といって、他に方法が見あたらないというのが現状なんでしょうね。総合得点に一喜一憂せず、国公立2次試験がある人は、ここに力を集中してください。


 さて、遅ればせながら、私も久しぶりにセンター試験・日本史を解いてみました。数年前はそれこそ必死で解答し、問題分析などということをやっていたのを、懐かしく思い出しました。今回は、数年前のお仕事に戻った気分で解答し、気づいたことを記してみたいと思います。


 まず、全体的な感想(というより予断に満ちた批判)

 第1に、日本史A・B共に全体として問題の易化が感じられます。これは大した問題ではありませんし、受験生にとってはいいことなのでしょう。しかし、過去に出題された問題の焼き直しが多いような気がします。学習指導要領が今年4月から代わるということもあって、何だか投げやりな出題(出題者の方ごめんなさい)のように思えるのは私1人だけでしょうか?


 第2に、これは以前から感じていたことなのですが、日本史Aと日本史Bの境界は一体どこにあり、どういう基準で区別しているのだろう?と思います。このことは、「高校社会科」が地理歴史科と公民科に分けられ、地理歴史科の3教科、すなわち地理・日本史・世界史にそれぞれA・Bという分類がされ、これに基づくセンター試験が実施されるようになってから思い続けてきたことです。

 確かに近現代史重視の日本史Aと全般的なことを比較的詳しく学ぶはずの日本史Bという区別は存在するでしょう。ところが、日本史AとBには、共通問題があるのです。もちろん、いろいろな理由、例えば、センター試験実施側の作題能力や費用面での問題などがあると思いますが、今年度の場合(昨年のことはつかんでいません)は2題も共通問題があります。かつては、1題だけだったと思われるのですが…。しかも、共通問題の作題方針が明らかにされていないので何とも言えませんが、レベルからすると、そう易しいとも思えないのですが。如何でしょう?



 では、具体的に日本史A・Bの問題について、見ていきましょう。

日本史A

第1問 原始から近世までの食と社会とのかかわり
 この問題は、広い意味での経済史(社会経済)を扱った問題です。写真や農具の図版は、これまでのセンター試験でそれこそ「毎度おなじみ」のパターンです。「ひっかけ問題」=実はこうなのだが、別のようにとらえられそう、という小問もなく、素直な問題だと思います。ここで改めて述べるまでもないことですが、教科書の写真や図版は、「オマケ」ではありません。日頃からきちんと確認しておくことが必要です。


第2問 近代の政治・経済・社会→日本史Bの第5問に同じ
 この問題も、これまで出題された問題と同じテーマが出題されています。Bの文章の北海道・沖縄について取り上げたものがそれです。今回は、沖縄だけでなく、北海道と合わせて文章が作られているところが、「新しい」と言えるでしょう。但し、些末というより、だから、「日本史は暗記教科だ」と思われそうな問題が気になります。
 1つは問3です。地方制度の整備に関する年代整序なのですが、果たして日本史Aで、これほど詳しく習っているでしょうか?Tの市制・町村制は1888年、Uの郡区町村編制法は1878年、Vの地方官会議は1875年ですが、この年代を覚えるより前に、授業で地方制度の整備についてきちんと教えられているのか、そのあたりのことが疑問です。
 同じことは、問7にも言えます。1899年から1912年までの沖縄に関する年表を示し、1899年〜1909年までの間と、1909年〜1912年までの間に起きた日本の出来事を選択させるという問題なのですが、細かな年代をきちんと知っておかないと解けません。アの府県制・郡制は1890年、イの立憲政友会結成は1900年、ウの金本位制確立は1897年、エの朝鮮総督府設置は、1910年です。


第3問 近現代の対外・経済関係→日本史Bの第6問に同じ
 この問題は、第1問と同様、比較的素直な問題に属すと思います。と言っても、近代経済史が苦手な人には「嫌な」問題だったかも知れません。特に、1920年代の慢性的不況期の説明は、高校の授業では「ごちゃごちゃ」と入り組んでいて、整理しきれないことが多いのも1つの原因でしょう。そして、問3が第2問の問3と同じパターンの問題です。年代整序問題なのですが、極めて時期が近いところを並べ替えさせるのはどうか、と思います。Tは1940年、Uは1938年、Vは1941年です。こういう場合、一番最初になるのはどれかが判断できることが大切でしょう。Uが一番最初だとわかれば、BかCに絞り込めます。


第4問 近現代の外交(史料含む)
 史料としてあげられた日英同盟(第1回)と三国同盟は、頻出史料といえるでしょう。但し、そうは言っても、高校の日本史Aの授業で、『資料集(史料集)』をどれだけの学校で導入し、利用しているのか少しばかり気になります。こういうのは、知っていると怖くないのですが、知らないと,見たことがない=怖い問題,になってしまいます。
 また、問5もいささか、細かい年代問題です。注意すべきは、「史料Uの条約の調印前の」という箇所です。ここで、引っかけがなされています。つまり、日ソ基本条約と日ソ中立条約とをきちんと区別できないといけないのです。Bの文章に関する問題は、先の史料問題より実は難しい問題だと思います。旧安保条約と新安保条約の区別、それに付随する事柄が理解できていないといけませんし、問7は、例によって年代整序問題ですから。問8は正誤問題なのですが、高校で戦後史まできちんと習い終えていないと「しんどい」問題だったはずです。


第5問 近現代の政治・社会
 この問題は実に素直な政治史の問題と言えるでしょう。取り立ててコメントすることはありませんが、問3の4のように、「第一次世界大戦後」という箇所をきちんと丁寧に読めば、引っかかりません。



日本史B

第1問 日本史上の歴史書・文学作品
 この問題のテーマも過去に何度か出題されたことがあります。文字の歴史とか、あるいは共通一次試験の時代でしたか、文学作品を史料として提示して作られた問題とかがそれです。引っかけ問題は、問4の竹内式部に関する問題。おそらく試験場で「こいつ誰や?」と思った人もいるでしょう。宝暦事件の関係者で、「たけのうちしきぶ」と読むのですが、「たけうちしきぶ」と読み、「こいつ誰や?」じゃ、竹内(たけのうち!!)君が可哀想です。
 ちなみに山川出版の『詳説日本史B』221ページには、「京都で公家たちに尊王論を説いて」と記されています。出題者は、この部分を読んで、「江戸の民衆に」と代えたようにも思えます。何と安易な言い換えでしょう。実際にはセンター試験は、この程度の「作為」が集合して作題された問題だともいえるのですが。


第2問 古代の遺跡・遺物など
 例の旧石器時代(座散乱木・上高森遺跡など)の「考古学騒動」(関心のある方は、この欄でも扱いましたのでご覧下さい)で、旧石器時代=ヤバイ時代と考えられたようで、非常にオーソドックスな問題です。Aの文章に記されている遺跡は近年の発掘調査により出土した遺物ですが、ここは全く無視。もし知らなくても関係がありません。
 そして問1。私など「お〜お〜!!またかいな。何回出すネン」などと、1人で思わずツッコミを入れてしまいました。そう、「大化改新の詔」に関する問題です。この場合、大抵律令とひっかけるか(令制)、十七条憲法と引っかけるかです。ほら、国分寺(国分尼寺)建立の詔と引っかけてあるでしょ。
 さらに、問3も「毎度おなじみ」です。現役生の人たちは、(といっても、なかには仏像ファンもいるのですが、大抵はそういう渋めの趣味を持つ人は少ないので)この写真を見た途端「ゲッ!仏像かよ〜。やっば〜あ!!」と思ったに違いありません。先程述べた通り、教科書の図版や写真は単なる「オマケ」ではありません。1は興福寺阿修羅像(天平)。「ウ〜ンこれくらいはわかる。しかし、あとはさっぱりや」という声が聞こえてきそうです。2は観心寺如意輪観音像(弘仁・貞観)、3は平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(国風)、4は興福寺仏頭(白鳳)です。


第3問 中世の政治・社会(史料含む)
 これまた、史料は2つとも頻出です。Aの文章の正誤問題は2つとも、せこい引っかけ問題です。問2では、日蓮は『興禅護国論』は書かない。禅に注目。栄西。日蓮は『立正安国論』です。ネ、似てるでしょ。出題者の「嫌らしい笑い」(マンガ「ちびまるこちゃん」に出てくる何とかさんという同級生の女の子が「クックッ」と笑うようにです)が見えるような問題。
 執権北条時頼もそう。大河ドラマもたまには役立つ。北条時宗です。問3も同じ。『職原抄』は北畠親房が書きました。BのTの史料は嘉吉の土一揆の史料。Uは加賀の一向一揆の史料です。問4は三管領・四職の区別がついていたらできます。もっとも、侍所の職務も理解できていないといけませんが。問6もなかなかつまらぬ引っかけです。2.8年間の自治は、山城の国一揆です。3.一乗谷でしょうが。。4.は結ではなく、講です。なんか悲しくなるほどせこい問題です。と言って、もし私が作題をしても同じようなせこい問題作成するのでしょうけれど。


第4問 近世の開発・交通
 経済史の問題です。問1〜3もこれまで何度も出題されています。特に、江戸後期の学者と作品名は何度も。もうこれは暗記しかありません。同様のことはBの方でも言えます。垂加神道は山崎闇斎です。問6の絵を見た途端「あかん!!」と思った人はその時点でアウト。大体、センター試験で使われる写真・図版はどこかにヒントがあるのですから、それを見つければ、解けるのです。できなかった人ちゃんと見ましたか?ほら、絵には「きちん宿」とデカデカと描かれています。これでしまい。1以外に解答はありません。



 私の予断と偏見に満ちた問題分析並びに解説(?!)はオシマイです。今の時点で来年のセンター試験のことを言うことはできませんが、どのように勉強すべきは言えそうです。

 それは、
1.センター試験の過去問をきちんとやって下さい。特に、何故そこが正しい(誤り)かに注意して解答してください。フィーリングで「こんなもんやろ」で解答して、○になっても、少しパターンを変えられるとできなくなります。

2.次に、教科書に掲載されている図版・写真に注意せよ、これくらいのことでしょうか。


ですから、対処の方法は誰もが考えられる当たり前のことなのです。これが基本であり、基本に基づいて身につけた学力を基礎学力と言います。これが一番大事なことだろうと思います。これから勉強を始める人たちは今記したことに注意して頑張ってください。