第22話 戦争に関する情報など
〜 現実から想像を、想像から現実を考えてみてください 〜



 

 このコーナーを担当してからこれで、22回目です。もう21回もいろいろなことを皆さんに「発信」していたのですね。

 有事法制の議論が今まさに国会でなされようとしている時です。しかも会期まで延長して是が非でもこの法案を通そうとする動きが強まっています。冒頭にもう22回目だと書きましたが、こんな小さなコーナーでもていねいに読んで下さる方もいるようで、この前は私にすれば、びっくりするような方からメールをいただきました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 その際に私にご要望が出されました。それを今直接すぐにお答えし、こういう風に私は考えます、と述べることができません。ただ、状況が状況だけに私としても今一度自分の考えを整理しておきたいと思います。

 そこで、今回はこういうテーマで記すことにしました。私にいただいたご要望はできるだけ早く近代の戦争史のところで可能な限りとりあげてみたいと考えています。

 すでにこのテーマを扱う理由を述べたところでも記した通り、私の立場(それ程すごい立場でも何でもありませんが)は、積極的「臆病主義」とでもいえるもので、「何も関係のない他人を戦争という理由で殺したくない、だから戦争は嫌だし反対だ」というものです。それに加えてベトナムに行く回数が増えるにつれて、「やっぱり戦争はあかん!!」と思う気持ちが強まっています。近代そして現代の戦争は単に兵士同士の殺し合いではすみません。戦争とは無関係な女性・子どもを巻き込み、ありとあらゆる人々そして物資を戦争遂行のために利用します。まさに「総力戦」(すべての人・物が戦争に動員されるということです)なのです。


 ベトナム戦争ではアメリカ軍を中心に「枯葉剤」がバラまかれたことを知っていらっしゃる方もたくさんいるでしょう。そしてその影響で、ベト君やドク君のような奇形児が誕生した事実を知っていらっしゃる方もいるでしょう。でも、それだけではありません。この「枯葉剤」をまく側にいた兵士たちやその子どもたちにまで影響を及ぼしているのです。このことについては、中村梧郎さんの『母は枯葉剤を浴びた』(新潮文庫)をお読み下さい。

 今年3月にベトナムに行った際の報告はこのコーナーでさせてもらいましたが、その時ホーチミン市にある戦争証跡博物館に行くことができました。上に紹介した中村梧郎さんや石川文洋さんの写真も展示されていたのです。そこも魅力でしたが、私は館内のある場所のことを今でもはっきり思い出します。目をそらさずに直視できなかった場所。そこにはホルマリンと思われる液体に入った奇形児の姿がありました。

 中村さんの本の中にも掲載されていますが、それを自分の目で現実に見るとは思っていませんでした。息をのむという言葉がありますが、まさにそう状態で身体はそこから動けなくなりました。写真では見ることができたのに、今目の前にあるその子どもたちの姿は戦争が何であるのかを私に教えてくれました。あわてて私はカメラでこの子たちの写真を撮りました。それしかできなかったのです。私の大学の教え子は、この写真が掲載されている中村さんの本をこのページから読み進むことができなかった、と語ってくれました。でも、勇気を奮って彼女がそこから先を読み進み、戦争とは何かを彼女なりにとらえてくれることを望みます。

 また、戦争は障害を持つ人たちを大量に生み出します。子どもたちを死に追いやります。昨年行ったカンボジアの子ども病院でボランティアをされていた日本人女性にお会いすることがありました。ご存じのようにベトナムとの戦争や内戦が終わってもまだ、大量の地雷が処理されていない国です。

 私たちが子ども病院を訪ねた際、一行の一人がボラティアの女性にこうたずねました。「地雷を子どもたちが踏んで助かる率はどれくらいあるのでしょう?」と。そもそも地雷が今なお埋まっていること、それ自体が問題であることは重々承知の上でその質問が出されたのですが。その時、冷静に女性は答えてくださいました。「10歳までの子どもなら大抵死にます。身体が小さいので死んでしまいます。それ以上の年齢の子どもだと助かることもあります」と。

 これが現実なのか、と強く思いました。そして、観光コースの行く先々で元兵士(日本語ができるガイドさんによるとポルポト派の兵士たちだそうでした)たち、しかも地雷で足を吹き飛ばされた元兵士たちが楽器演奏をし、わずかなお金をめぐんでもらっている姿を目の当たりにするにつれて、戦争という事実をどう受けとめようか、と考えました。

 子どもたちだけでなく、銃後の女性たちや老人たちも傷つけられ場合によっては死に至ります。また、ベトナム戦争の話になってしまいますが、「プラトーン」という映画をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。プラトーン=小隊がベトナムの小さな村に入って行きます。そして、この村を焼き打ちにするのですが、その時、村の女性が米兵にレイプされる寸前というカットがあります。

 戦争はこういう普段ならあり得ないようなことが逆に「ごく普通」になされることです。それは旧日本軍の従軍慰安婦問題でも明らかですし、沖縄戦後、誕生した米兵との間に生まれた子どもたちのことを考えても理解できることです。特に後者のことについては最近、S・マーフィー重松さんが『アメラジアンの子供たち』(集英社新書)で扱われていますので、お読みいただければと思います。

 このコーナーをお読みいただいている方で若い人たちがいらっしゃるなら、まず、学習することを何より大事にして欲しいと私は思います。戦争はアフガニスタンや日本から遠い国・地域で行われているのだと思って関係ないと切り捨てないでください。あなたと同じ年齢の人たちが苦しんでいるのです。場合によれば、あなたの同じ年齢の子どもたちが兵士となって戦っているのです。インターネットで「ユニセフ」と打ち込んで検索してみてください。「こども兵士」=少年兵のことを扱っています。

 まず、しんどいことですが、事実をきちんと知ってください。それが私のいう学習です。受験勉強とはその点で違います。あるテーマを持って様々な事実を知ってください。そしてその上で学習を通じて想像してください。想像は決していけないことではありません。「僕(私)が戦争に巻き込まれたら?」,「僕(私)と同じ年齢の子どもたちが戦争で死んでいってるとしたら?」そういう想像から現実を知ってください。戦時中の日本の子どもたちがどんな状況におかれていたかを知りたいと思ったのなら、1度「全国疎開学童連絡協議会」のホームページにアクセスしてください。私のコーナーでも1度だけ簡単に紹介したことがありますが、この程この協議会がホームページを開きました。いろんなことを知ることができます。外国でも日本の学童疎開と同じような疎開があったことも知ることができると思います。