第2話:パレスチナ問題って何だ?
〜その2〜

 今月はパレスチナ問題の2回目をお送りします。前回、この問題には宗教の問題がからんでいるとお話ししました。今回は古代のユダヤ人(イスラエル人)の歴史を中心に、この中東で生まれた3つの宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教についてお話ししていこうと思います。 
  
ユダヤ教
 旧約聖書には『ノアの方舟』という有名なお話があります。これは、無信心な人間に怒った神が大洪水をおこし彼らを滅ぼそうとしますが、ただノアとその家族だけが助けられ、この後のすべての民族の祖先と祖先となったという物語です。

 そのノアの子孫にアブラハムという人物が出てきます。アブラハムは神によって「カナン(パレスチナ)の地に行け」と命ぜられます。アブラハム一行は神の指示に従いカナン(パレスチナ)にたどり着きます。彼の子孫は、その後やむなくエジプトへ移住しますが、エジプト王国のきびしい支配を受けることになってしまいます。

 その時立ち上がったのが預言者モーゼでした。モーゼは「神の約束されたカナン(パレスチナ)へ戻ろう」と言って、仲間を引き連れエジプトを脱出します。これを「出エジプト」といいます。エジプト軍に追われながらも神の力によって奇跡的に脱出できました。また、この時、モーゼは神と約束を取りかわしました。その結果、神から授かった掟が「十戒」です。後に成立するユダヤ教の教えの中心となるものです。

 モーゼ一行(イスラエル人)は、カナン(パレスチナ)にたどりつきましたが、そこには既に別の民族が住んでいました。イスラエルの人々はその地を奪い返すためそれらの民族と戦争を起こしました。そしてついに念願の国家を建設することに成功したのです。これを「ヘブライ王国」といいます。

 この国はダヴィデやソロモンといった国王の時代(紀元前1000年頃)に黄金期を迎えましたが、やがて分裂し(イスラエル王国とユダ王国)、そしてアッシリアや新バビロニアといった大国によって攻め滅ぼされてしまいます。特に、新バビロニアがユダ王国を滅ぼした際、そこのイスラエルの人々を強制的に首都のバビロンへ連行するといった事件が起きています。これを「バビロン捕囚」(紀元前586年)といいます。

 しかし、捕らわれの身となったイスラエルの人々も、50年後にはペルシア王国(アケメネス朝)が新バビロニアを滅ぼした際に帰国を許されることになりました。

 パレスチナに戻ったイスラエルの人々は、自分たちの神への信仰の正しさを確信し、教団を結成しました。このようにして成立したのがユダヤ教なのです。
 
キリスト教
 イスラエルの人々が故郷に帰ることを許されたといっても、独立国家の建設を認められたわけではありませんでした。ペルシア王国の次にはアレクサンダー大王、そして最後にはローマ帝国といった大国の支配を何百年にもわたって受けることになります。

 このように続く民族的苦難にあってもイスラエルの人々は自分たちの信仰を捨てることはありませんでした。それどころかいつかは「メシア」(救世主)が現れて、自分たちを解放してくれると信ずるようになっていきました。その考え方の根底にあるのが「選民思想」です。イスラエルの人々は神に選ばれて契約を結んだ唯一の民族としての誇りを持っていたのです。

 紀元前後頃、このパレスチナにイエスが誕生します。彼はユダヤ教徒として育ちましたが、当時のユダヤ教のあり方に疑問を持つようになっていきました。そして本来の神との契約に立ちかえり、すべての人間は神の愛によって平等に救われると説くようになったのです。

 このことは厳格なユダヤ教徒の反発を招くことになり、イエスは反乱の罪を着せられ、最後には十字架につるされて処刑されてしまいました。

 しかし、「死んだはずのイエスがよみがえった」という噂が人々の間に流れます。かつての弟子たちは「イエスこそが神によってつかわされた真のメシアである」と確信するようになり、キリスト教が成立しました。この後、キリスト教はこれらの弟子たちによってローマ帝国内に広められていくことになります。
 
イスラム教
 最後にイスラム教についてお話しします。イスラム教が生まれたのはアラビア半島で、ユダヤ教やキリスト教が発生したパレスチナと比較的近いところにあたります。ここの住民はアラブ人です。

 アラブ人はイスラエル人とは同系の民族で、「ユダヤ教」のところで出てきたアブラハムの子孫とされている人たちです。もともとは遊牧生活を中心に生計を立てていたのですが、次第にラクダを使ったキャラバンで貿易を行い、経済的な繁栄が始まるようになりました。

 しかし、それとともに部族間の連帯が失われ、富める者と貧しき者に分かれてしまい、対立や戦いが起こるようになってしまったのです。

 この状況の中で登場したのがムハンマド(マホメット)です。彼は若い頃から商人としてその才能を発揮してきましたが、ある時当時の社会のあり方に疑問を持ちはじめ、一人洞穴にこもって瞑想にふけるようになりました。「なぜ人間は戦争や争いをやめようとはしないのだろう。ユダヤ教徒やキリスト教徒たちも含めて、多くの人々は神の言葉を誤解しているのではないか」と。

 そんなある日、ムハンマドの前に天使が現れ、「神の啓示をすべての民に伝えよ」と命を下します。その時からムハンマドは、自らを神の言葉を人々に伝える「預言者」であると自覚するにいたりました。こうして生まれたのがイスラム教なのです。

 ムハンマドの教えによれば、次のようになります。
 
唯一神(ユダヤ、キリスト、イスラム教はすべて一神教)

啓示


 

 
アブラハム     モーゼ     イエス   ムハンマド
(最後の預言者)
ユダヤ教 キリスト教 イスラム教
 
 「神はアブラハム以来、モーゼやイエスを預言者として神の言葉(啓示)を伝えてきたが、ユダヤ教徒もキリスト教徒も神の言葉を誤解しており、神の真意を伝えんとするため、ムハンマドを最後の預言者に指名した。」

 以上のように見ていくと、ユダヤ・キリスト・イスラムの3教は、みんな同じ神(唯一神)を信仰する兄弟宗教のようなものということがわかっていただけたのではないかと思います。

 また前回、エルサレムという都市がこの3つの宗教の聖地であると書きましたが、それはユダヤ教徒にとっては自分たちの神殿が存在する場所であり、キリスト教徒にとってはイエスが十字架にかけられた場所であり、またイスラム教徒にとってはムハンマドが昇天したと伝えられている岩があるところだからなのです。


 今回は少々長くなってしまいましたが、次回は中世以降の迫害されるユダヤ教徒についてお話ししていこうと思っています。

 では、よいお年を。